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新横綱鶴竜誕生

23日まで行われていた春場所で14勝1敗の成績を残し初優勝を果たした鶴竜が横綱に昇進しました。

初優勝で横綱。ということに違和感があったので少し調べてみました。

 

横綱昇進の内規は「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績を上げた力士」とあります。初場所14-1(白鵬との優勝決定戦で負け)、春場所14-1(優勝)の成績を残した大関鶴竜は内規を満たし横綱へと昇進します。

 

 以下は 横綱 - Wikipedia 最終更新 2014年3月24日 (月) 05:30からの引用です。

横綱昇進前3場所成績

◎は優勝、◯は優勝同点、△は優勝次点、四股名は横綱時

昇進場所 四股名 3場所前 2場所前 直前場所 3場所合計 優勝
1961年
11月 
柏戸剛  10勝5敗 11勝4敗 12勝3敗◯ 33勝12敗 1回
1961年
11月 
大鵬幸喜  11勝4敗△ 13勝2敗◎ 12勝3敗◎ 36勝9敗 3回
1964年
3月 
栃ノ海晃嘉  11勝4敗 14勝1敗◎ 13勝2敗 38勝7敗 2回
1965年
3月 
佐田の山晋松  13勝2敗△ 13勝2敗△ 13勝2敗◎ 39勝6敗 3回
1970年
3月 
玉の海正洋  13勝2敗◎ 10勝5敗 13勝2敗◯ 36勝9敗 2回
1970年
3月 
北の富士勝昭  12勝3敗△ 13勝2敗◎ 13勝2敗◎ 38勝7敗 3回
1973年
3月 
琴櫻傑將  9勝6敗 14勝1敗◎ 14勝1敗◎ 37勝8敗 4回
1973年
7月 
輪島大士  11勝4敗△ 13勝2敗△ 15戦全勝◎ 39勝6敗 2回
1974年
9月 
北の湖敏満  10勝5敗 13勝2敗◎ 13勝2敗◯ 36勝9敗 2回
1978年
7月 
2代若乃花幹士  13勝2敗△ 13勝2敗◯ 14勝1敗◯ 40勝5敗 1回
1979年
9月 
三重ノ海剛司  10勝5敗 13勝2敗△ 14勝1敗◯ 37勝8敗 2回
1981年
9月 
千代の富士貢  11勝4敗△ 13勝2敗△ 14勝1敗◎ 38勝7敗 2回
1983年
9月 
隆の里俊英  12勝3敗△ 13勝2敗△ 14勝1敗◎ 39勝6敗 2回
1986年
9月 
双羽黒光司  10勝5敗 12勝3敗△ 14勝1敗◯ 36勝9敗 なし
1987年
7月 
北勝海信芳  11勝4敗△ 12勝3敗◎ 13勝2敗△ 36勝9敗 2回
1987年
11月 
大乃国康  15戦全勝◎ 12勝3敗△ 13勝2敗△ 40勝5敗 1回
1990年
9月 
旭富士正也  8勝7敗 14勝1敗◎ 14勝1敗◎ 36勝9敗 3回
1993年
3月 
曙太郎  9勝6敗 14勝1敗◎ 13勝2敗◎ 36勝9敗 3回
1995年
1月 
貴乃花光司  11勝4敗 15戦全勝◎ 15戦全勝◎ 41勝4敗 7回
1998年
7月 
若乃花勝  10勝5敗 14勝1敗◎ 12勝3敗◎ 36勝9敗 5回
1999年
7月 
武蔵丸光洋  8勝7敗 13勝2敗◎ 13勝2敗◎ 34勝11敗 5回
2003年
3月 
朝青龍明徳  10勝5敗 14勝1敗◎ 14勝1敗◎ 38勝7敗 2回
2007年
7月 
白鵬翔  10勝5敗 13勝2敗◎ 15戦全勝◎ 38勝7敗 3回
2012年
11月 
日馬富士公平  8勝7敗 15戦全勝◎ 15戦全勝◎ 38勝7敗 4回

 優勝は昇進時での通算。

 

これを見ると平成以降の横綱は連続優勝して横綱になっています。自分の中で記憶にある横綱は曙からですのでこれが違和感の原因かと思います。横綱=連続優勝して昇進する。というイメージがあったのかなと。

 

鶴竜力三郎 - Wikipedia 最終更新 2014年3月24日 (月) 14:22f:id:Catch227:20140325005031j:plain

また、大関になった後も10勝前後で大関昇進の目安『3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が33勝以上』も満たせておらず絶対的に強いって印象はありませんでした。今年になって成績急上昇。最初のチャンスをものにした。というのも違和感を覚えた要因だと思います。来場所以降この成績を残せるのか注目したいと思います。

 

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